統合失調症の亡き母  ~娘の体験記~

私が中学3年生の時に母が統合失調症になりました。それから約7年(現在)に至るまでの私の気持ちや体験を書いていきたいと思います

高校時代の生活

前回までは、母の発症時のこと、家庭環境について少し書いてきました。

今回は私が高校生の時の生活を、書いていきたいと思います。

 

高校時代の私の生活について

私は実家から早くて1時間半。かかるときは2時間かかる高校に通っていました。

最寄り駅まで車で20分。バスは一時間に1.2本あるかどうかの田舎に実家はありました。

高校生からすると、けっこう距離が遠い方でした。さらに私は部活に入っていて時間に追われる毎日を過ごしていました。

 

毎日、課題や部活に忙しい……。これだけなら充実した高校生というような感じで、周りの同級生と何も変わらないんです。

だけど私には、学校の課題や部活に加え、家に帰ってきたら家事がありました。

家事……。その当時家事をするのは相当きつかったです。

家が遠いこともあり、部活をして平日は帰ってくるのは、夜9時ごろ。そこから洗濯物して、お弁当箱を洗い、明日のお弁当の準備、お風呂、学校の課題。

全部が終わるころには日を超えてるのがほとんどでした。

そして朝起きるのは朝5時。部活が運動部に入っていたので、その生活は体力的にもきつかったです。

 

私は家事をしないと自分の生活すらできない環境でした。

でも、周りの同級生は家族にやってもらえているんですよね。それを嫌でも目の当たりする時があるんです。それはお昼の時間のお弁当でした。

私の高校は公立校で、学食はありませんでした。購買はあるので、軽いものなどは買えましたが、ほとんどの子がお弁当でした。友達のお弁当を見ると、とてもおいしそうなんです。家族に作ってもらっていて……。

私のお弁当は時間のない中で作ってきているので、周りと比べてしまうと、貧相なお弁当でした。それが嫌で、恥ずかしくて、悲しくて……。

周りがとてもうらやましかったです。

友達同士で、家族の話題にたびたびなるのですが、友達に話せるような家族のことなど、1つもありませんでした。

 

家族とは(当時思っていたこと)

当時私にとって家族とは、ただ屋根の下に一緒に住んでるといった感じでした。(中学2年生のときから、祖母の家と自分の家を行き来しているような状態でしたので、一緒に住んでいるというのも違う気がしますが……)

家族が一番大切な存在とか、かけがいのない存在というふうには1ミリも思えませんでした。

むしろ、母、父、姉、私の家族みんながみんなバラバラでした。

家事についても洗濯はそれぞれ。ご飯も食べているのがばらばらでした。

名前だけの家族というような感じですね。

 

母について触れていませんでしたが、私が高校生の時の母は入退院を繰り返していました。

母との関係について次は書いていきたいと思います。