統合失調症の亡き母  ~娘の体験記~

私が中学3年生の時に母が統合失調症になりました。それから約7年(現在)に至るまでの私の気持ちや体験を書いていきたいと思います

家庭環境

今日は統合失調症になる前の母の性格・家族について書いていきたいと思います。

 

母の性格について

統合失調症になる前の母の性格は、ビックファイブのパーソナル特性からいうと、

外向性・経験への開放性が低く、神経症傾向が高いような人でした。(あくまで、私から見た母の性格特性ですが……)

活発的で社交的な性格ではなく、大勢でいるよりは一人でいる方が好きな内向的な人でした。片付けが苦手で、父とよくケンカしていたのを覚えています。周りの反応に敏感で、神経質なところもありました。

 

家族について

母は専業主婦でした。

父が長男で、その実家に嫁いできたといった感じです。

敷地に私の祖父母(父の両親)の家が建っていて、その隣に私たちの家があります。私たち家族は父・母・姉・私の4人構成+祖父母といった感じでした。

父と母は私が物心つくころから、しょっちゅうケンカして、子どもから見ても仲が良くはありませんでした。

 

2歳年上の私の姉は暴力的・自己中心的な性格で、気に入らないことがあると駄々をこねたり、物にあたったりしている性格でした。姉の性格は年齢を重ねるごとに落ち着くどころか、荒れていきました。私が中学生の時には暴言と同時に、家の物をぐちゃぐちゃに壊していくんですよ。食べかけのごはんから、私の大事なものまで。ありとあらゆるものを。次第に姉は物から人に当たっていくようになりました。気に入らないと殴りかかってこようとしました。女の力なので、殴ってくるのを阻止することはできますが殴りかかってくるとき本能的に怖いんですよ。その場では、姉に負けないように強がっているんですが、襲ってくる恐怖が残るんです。

私は負けず嫌いな性格なので、姉が暴言をいってきても、張り合うんです。それでケンカになるというのが日常でした。

 

私が中学2年生の時、姉との関係に限界がきて、私は家出しました。

家出と言っても、隣にある祖母の家に居候しただけですが…そこからは、祖母の家で私はほとんど生活していました。でも、お風呂は自分の家で入ったり、夕飯は自分の家の物を食べたりと、姉に会わないように実家と祖父母の家を行ったり来たりしている生活でした。

 

 

父は職場が家から遠いところにあり、帰ってくるのが平日は遅かったです。土日は家にいるので、小学生の頃私とは、遊びのバトミントンをしてくれていました。でも、家のことには非協力的で、家事や子どものことは母親がやるものというような古い考え方の人でした。子どものことに関して母が相談しても一切口を出しませんでした。

 

 

 

母の実家は同じ県内にあり、車で高速を使って2時間ほどのところにあります。土日にはしょっちゅ母の実家に私も連れていかれて、帰っていました。

 

 

母についてですが、私が小学生のころまでは家事も得意ではなかったけど、何とかしてくれていました。
車社会の田舎なところに住んでいたのですが、車での送り迎えなどもその頃はしてくれていました。

 

そんな感じの家庭環境でした。